あなたへ(下書き掲載)

 

 

絶対にあなたがこれを読むわけはないんですけど、あなたへ

 

 

 

あなたへ

という書き出しを一年ぶりに書きます。

最後、手紙を書いたのが〇〇に行ったときで、その日は手紙を持って行ったのに出せずに帰ってきました。

その次のイベントに持って行こう、と思っていたけど出す気になれなくて。

その日のために書いた手紙を別の日に出すのも嫌だったし、それまでわたしは毎回イベントのたびに手紙を書いていたので、それが途切れてしまったのがなんとなくイヤだったのです。

手紙に前回のイベントについて書いていたので、その次のイベントで出すとしたらわたしはふたつぶんのイベントに関して書かないといけなかったわけですから。

 

△△のイベントの次の日にわたしの人生は変わってしまいました。

言って見れば佐伯タイガと桜庭トアのPink!-How to catch me-の二番Aメロのような出来事があったわけですね。

 

 

別にそれが原因で、高頻度でイベントに足を運ばなくなったわけではないですし、なんだかんだ自分のペースで行きたいイベントには行っていました。

 

 

そしてそろそろその日から一年が経とうとしていますが、あなたの仕事は増えましたね。

 

 

そうなると、ちょっとあなたを遠くに感じるかもしれないけれど、むしろ逆で、たまに行くイベントで見かけるあなたはいつも変わらずにそこにいました。お客さんに出迎えられるときの、丁寧なお辞儀も、帰り際の丁寧なお辞儀も…。お辞儀だけの話ではないのですけれども、仕事の規模や知名度の増加に関係なく、ひとつひとつの仕事に真剣に向き合っているんだなあと思いました。

どんどん大きな人になっていくのに、謙虚で、あたたかいままにお仕事を続けていますね。

 

 

あなたはどうして、変わって行くのに変わらずにそこにいるんでしょう。

 

 

 

わたしは手紙を書く人が変わりました。

 

正確にいうと手紙ではなく、履歴書だとか、エントリーシートだとか言ったものを企業の人事に向けて書いています。

 

 

 

わたしも変わらずに、あなたにお手紙を送っていた時のように丁寧にありのままに書かれば良いのですが、そんなことは到底できそうにありません。

 

 

というか、人に向けてわたしは文章を書いたことがないように思います。後にも先にもあなただけでいいと思います、わたしがお手紙を出すのは。それももちろん、読んでいただけているのかわからないですし、あなただけが目を通すものなのかもわからないですから、誰かが読むための文章というのをとにかくわたしは書いたことがないのです。

 

だけど、あなたに読んでもらうと少し期待を寄せると、なにかできる気がするんです。

何なんだよこの下書きは

〜まず始めに さえない男性編〜

あなたはTinderでなにをしたいですか?

恋人探しですか?

セックスですか?

恋人もいるけれど、なんとなく日々に刺激が欲しい、つまりは暇つぶしですか?

なんであれ、あなたは念頭に入れておかねばならぬ点があります。

それは、あなたはあなたでしかないということ、です。

上に挙げたどんな目的であれ、異性と会うことが必須事項になるわけですが、異性に対して、あなたはどのレベルを求めていますか?

芸能人、モデル、アイドルくらいのルックスの女の子?

クラスにいる、まあ可愛いな、程度の子?

ブスでも見た目を繕っている、最低限抱けなくもない、くらいの子?

それとも、女の子ならなんでもいい?

高校にあがるとき、大学にあがるときを思い返してみてください。

あなたは慣れないネクタイをきっちり締め、春休み中にこっそり練習したワックスで髪をセットしたかもしれません。ツイッターであらかじめ知り合っていた女子と新歓を回る約束をしていたかもしれません。

その結果、どうなりましたか?

夢見ていた通りに、ことが進みましたか?

嘘のように可愛い彼女、嘘のように明るい友人たちと過ごす、充実した日々、来ましたか?

来た人はもうそれでいいです。

来なかった人、敗因を考えたことはありますか?

別に、あなたがかっこよくないからでも、陰キャだからでもありません。戦うフィールドを間違えただけです。

あなたは明るくはない、でも、好きなものはある。美術館に行ったり、レコードを漁ったり、ギャルゲーをしたり。なんでもいい。

ただ、そんなあなたが門戸を開いたのが、誕生日にはリムジンと薔薇の花束で迎えてくれる英語サークルだったら?ツイッターで会う約束をした子が、豆腐を顔にぶつけてお祝いをするタイプの一軍女子だったら?

それは当然、続かないでしょう。

いくらその子たちのルックスがタイプであったとして。

残念ながら、Tinderはそれをなんとかするアプリではありません。

あなたの出会ってうまく行く範囲で、あなたが最善の努力を尽くすことで、最善の結果を得る、それだけです。

厳しいことを言いますが、身の程をわきまえましょう。

 身の程はわきまえましたか?

では、身の程をわきまえたら、プロフィールを見返してみましょう。

背伸びしていませんか?

意味もなく英語使ってませんか?ローマ字、使ってませんか?

Animeとか書いてませんか?なんでアニメじゃダメなんですか?

「よろしくお願いします^^」しか書いてないですか?なにがよろしくなんですか?

あなたは面接に行って、顔を見せて、名前を言って、大学を言って「よろしくお願いします」で終わる人間ですか?終えてことが運ぶ人間ですか?

 

終わらないのであれば、とにかく無難なことを書きましょう。

なんでもいいです、「大学で文学を学んでいます」「就活終わって、飲む友達を探しています」「広告代理店勤務予定」でもなんでも構いません。

 

そして、どんな目的であれ選り好みせずに女性をライクするようにしましょう。

再掲

 

そろそろジャンププラスの回し者になってしまう、というくらいジャンププラスの話しかしませんが、今日も今日とてジャンププラスを読んでいます。

 

 

今週?来週?銀魂実写版が公開とのことで、銀魂が200話くらい無料なんですよね。で、銀魂読んでたら、いやべつに就職とかしなくても万屋さっちゃんとかひらけばいいんじゃないのとか思えてくるんですよね。

 

 

わかりやすいとは思うんです

可哀想再掲

 

虎ノ門まで行くのに、丸ノ内線赤坂見附から銀座線に乗り換えるはずが、南北線ホームに向かっていました。そして南北線ホーム着いて路線図を見て「あれ?虎ノ門なくね?」と気づいて銀座線まで引き返したのです。

 

丸ノ内線と銀座線は近くて、南北線は遠いので、赤坂見附駅構内を往復した感じになります。

 

 

そのときに思いました、ああもう就活やめよう、と。

 

 

 

 

東京育ちですが、田舎なので地下鉄に乗ると

きもすぎ再掲

 

ぼくは二十歳だった。

それが人の一生で一番美しい年齢だなどと誰にも言わせない。

 

 

ポールニザンの小説の冒頭なんですけど、あの人にファンレターを書いた時に「わたしはちょうど二十歳の今、あなたのファンになれたから、今が一番美しい年齢で構わないし、そうであってほしい」と言った旨の記述をしました。

 

 

ケッコー頭わいてるな〜って思う。

 

 

でも、実際まじでわたしが一番美しい年齢だったのは紛れもなく二十歳。

 

 

二十歳の夏にめっちゃ好きな人がいた。

ぴったり二十歳、それも夏に。最高でしょ。

 

 

 

おまつりも、花火も、海も、行けなかったけど。

 

 

2017年夏頃下書き掲載⑤くらい?

 

 大学生活残り7ヶ月半、暇になってしまいました。

 

 

まだやること、考えることはありますが、私はやるべきことはやらない、考えないといけないことは期日まで考えずその日の気分で決める人間なので、実質暇なのです。

 

 

要領がいいってわけでもないですが、単位も当たり前に足りていて後期からはゼミと卒論しかやることはありません。バイトは月の半分を費やせば10万円は稼げる(それもただボーッと突っ立ってスマホしてご飯もらうだけで)ので、月に10日くらいは暇になる算段です。

 

 

予定としては

9月には大江戸温泉、アニメイトカフェ、梶裕貴バースデーイベ、ディアドリームファンミ03

10月にはキンプリライブ

11月にはAGF、ヒロアカ雄英祭

12月にはジャンプフェスタ

 

 

これくらいしかやりたいことがないのです。

 

 

俗にいう最後のモラトリアムなのでもっとなにかしたらいいんじゃないかとか考えるものの、悲しいくらいにやりたいことがないのです。

 

「大学生 暇」とかで検索して見ても「映画を見る」とか「取りたい授業を取る」とか「本を読む」とか「行ったことない地域に行く」とかなんとか。

 

私はまず、映画が嫌いなのです。大学2年くらいのときにちらほら観ていましたが、面白いなと思った映画は真面目に『妖怪ウォッチ誕生の秘密だニャン!』くらいでしょう。いわゆる洋画?ですか?も観たんですけど、よさはわかりませんでした。なので邦画ももってのほかです。

 

まず、洋画は「知ってる」前提が多すぎる。有名作品の焼き増しだったりとか、日本のエンタメの新規IPの足りてない現象みがあるので、わざわざ洋画にのめり込む意味は分からず。

 

邦画はもっと論外ですよね。話題性のコピー&ペーストと利権のオークションみたいなもんですあれは。どこにもオリジナリティってもんがない。

 

手法とかフィルムの荒さとかにこだわってマイナー劇場に足を運ぶとかは楽しいかもしれないですけど、そもそも映画に興味を持てない人間がそこまで映画に執着する必要ってないと思うんです。

 

 

取りたい授業もたぶんほとんど取ってしまいました。

あの人の卒論みた先生の講義行くのはアリって思ってたけど、飽きたし、そうなるとほんとにないな〜。

 

 

本は物によりますね。読みたいものはあるかもしれないけど、読まずにここまで来ているので。

あまり言葉の魅力とかに心を動かされる人間ではないので。

就職活動中、グループディスカッションで「キャッチコピーを考えろ」だとかいうのもやったことありますし、グループ面接とかでは広告業界を志望する人の志望理由なんかもちらほら聞いたことがありますが、だからなんだという話ですね。

 

キャッチコピーに関して、ああいうのに惹かれる人ってまず念頭に「広告代理店への憧れ」みたいなのがあると思います。「電車の中吊り、あれまじ電通って感じ!」みたいな。ようは、キャッチコピーが好きなのではなく、電通の権力が好きなわけです。

 

個人的に「広告は要らないというか効果がないのでもっと効果的にすべきだたとえば〜」というような理由を言える人はかっこいいと思いますけど、そんなひとまずいないですし、いたらどこかの傘下に入るべきではない。

 

 

 

「行ったことない地域に行く」というのもあまり惹かれません。

東京都民がわざわざ田舎に出て行く意味を感じないんですよね。しかも東京都民って言っても多摩地区なので自然が豊かなわけです。

都会の喧騒を離れて綺麗な景色に身を置くとか毎日やってます。都心部から大体電車で1時間ちょいのところに住んでますが、家は純和風の一軒家なんで旅館みたいなもんです。わざわざ金かけてここよりなんもない田舎に泊まる必要を感じません。

 

美味しいものを食べるっていうのもバイトが百貨店の催事場なので、全国各地から出店があって結構食べさせてもらえるので、間に合ってるんですよね。雨の日とかは売れないので海鮮丼やら鯖寿司やらなんやらいっぱいもらえます。ほんとに感謝してます。つまり私はバイトに行きまくって金もらってタダメシ食らうのが一番向いてるわけなんですね。

 

 

2017年下書き掲載④くらい?

 

 

轟くんに教えてもらったってわけじゃあないんだけど。

 

 

大失恋の始まりから一年が経ったころ、ほんとにぐちゃぐちゃだった。

 

就活もやってたし、社会からも、大好きな人からも否定されてんだな〜いらない存在なんだな〜って。

 

(どっちも今更だけど)社会から必要とされてないのは今更だったし、失恋の痛みに比べればどうだってよかった。失恋に関しては今更って状態からもう何ヶ月も経ってるのに、かたくなに終わってることを認めたくなかった。

ほんとに好きだったし。

 

 

けど今は好きなのかわかんない。

 

 

一年も経ったから忘れたのか、たまたま一年のタイミングで轟くんに出会ってしまったからなのか。まあでも一年というキリのいい数字に特に意味はないと思う。自分で踏ん切りつけたい気持ちもあったけど、そうやって利用するには轟くんを好きになりすぎてしまった。

 

 

 

轟くんは、自分の力を自分の力であると認めるという視野を持ち合わせていなくって。

 

それに気づいた時が、彼のヒーローのスタートで。

 

「なりたい自分になっていいんだよ」

 

 

なりたい自分になる

 

何かに囚われない自分になる(轟くんの場合、それは両親の存在だった)

 

 

素敵な言葉で、だからこそ難しい。

 

 

私も、好きだった人とかに囚われない、なりたい自分になれるのかな。

 

なれるとしたらそっからが私のスタートなのかな。

 

そんなスタートに轟くんは私の隣にいてくれる?