担当と燃えたダイヤモンド(2018年記事再掲)
ずっと忘れてたけど
いつだったか、幼い頃
「本物のダイヤモンドと偽物のダイヤモンドを見分ける方法は燃やすこと。本物のダイヤモンドは燃えてなくなるけど、偽物のダイヤモンドは燃えない」
という知識を得ました。
それは物の例えだったのか、科学的な根拠に基づく事実なのかは私にはわかりませんし、知りませんし、知るつもりもないです。
別にそれが科学的な根拠に基づく事実であることとか、その正確性なんかを私は必要としていないからです。
現在を生きて、駆け抜けて行く中で燃やして燃やして跡形もなく過ぎ去ったものなんて、なくなったあとじゃ気付かない。
生きて来て、退屈しのぎに私はいろんなものを燃やして来ました。
自分の人生を、切り売りして、燃やして来ました。
火遊びの延長というか、何もかもを簡単に燃やそうとします。
燃えるかな、燃え尽きるかなと火を注いで。
「ホストなんてハマったって後に何も残らない」
もはやこの言葉はホストに行ったことがない、ホストとは無縁の人生を送ってる人でも聞いたことがある言葉だろうと思います。実際、無縁だった頃からも偏見こそありませんでしたが、「何も残らないじゃん」というイメージは持っていました。
実際、ホストにハマって、何も残ってないです。
でも、イメージだった「何も残らない」と、実際に体験した上で感じた「何も残らない」は別物です。
イメージの上では「マイナスの意味で何も残らないこと」を言うと思っていました。
だってそうでしょう?まず第一に使ったお金が返ってこない。一般的にはこのイメージでしょう。
また、若い人生や真っ当なライフスタイルを無駄にして、身体を売った人がいたのならば自分の純情や貞操も返ってきません。そういう、世間一般的に大切なものを失い、真っ当な余生を送れないという意味で「マイナス」なんだ、何も残らないんだ、だからハマったら危ないんだな、という感じですね。
でも、実際に今の私は「マイナス」ではありません。ただただ「ゼロ」です。
嘘ばっかりの世界に足を踏み入れて、かけてもらった優しい言葉や温かさはやっぱり偽りのものだったかもしれない。だけど、本人そのものは本物のダイヤモンドでした。
次はわたしは何を燃やすんでしょう。何を本物かどうか試しては、燃えないものに対して「偽物」と言って、燃え尽きたものを「本物だった」と慈しむんでしょう。