卒業

 

人生で一番楽しい卒業式でした。

 

それもそのはずだと思います。袴の色も、メイクも、髪型も、好きなようにしていい機会だったので。

 

小学校の卒業式は姉のお下がり(なんとなんちゃって制服だったのにセーラー服だったのでそれはそれで気に入っていた)と決まっていたし、中学は震災の影響で卒業式はなかったがあったところで中高一貫なので制服は6年間同じ。だから高校の卒業式で着たものおなじ、クソダサい制服を着ました。

 

 

小中高を卒業することは「このコミュニティからの脱出」という意味合いで、「さらなるステップへの通過点」でしかありませんでした。

 

一方で大学を卒業することは「自由と自我の剥奪」「モラトリアムの収束」と意味合いが相当違ったため、式が終わった今もなんとも言えない感慨が私を襲っています。

 

 

 

遡ること四年前、私は早稲田の合格発表を聞いて、自分が合格したことに特別驚きもしませんでした。

 

そもそも落ちるとは思っていなかったので。でも受かるとも思っていませんでした。

 

どういうことかというと、過去問はずっと合格ラインをゆうに超えていたので落ちないと思ったから受験したが、あくまで上智に落ちた場合に通う学校だと思っていたので、上智にも早稲田にも受かるパターンは想定していなかった、ということです。

 

率直に「やれやれ、面倒なことになったな」とハーレムアニメの主人公のような感想を抱きました。

 

 

ただ割とすぐ進学する大学は決めました。

 

でも、単純なネームバリューや偏差値だけで判断したというより「どういう自分がしっくりくるか」が一番大きな判断基準だったように思います。

 

 

早稲田以外の大学に通っていたら私は「普通」を強要されたかもしれない。

38mmのコテで巻いたくらいのゆるパーマを当て、8トーンくらいの茶髪にし、赤文字系の洋服を着て、サマンサタバサのバッグを持つ。

スタバの新作が出るたびにたいして可愛くもない友人と駆け込んで3時間くらい生産性のない恋バナをする。

文化系とも運動部ともとれないサークルに所属してよくわからない先輩に処女を奪われエッチした次の日の1限は寝坊する。

カシスオレンジ数杯飲んだ程度で酔っ払う。

ことあるごとに感謝!感謝感謝感謝!

 

そんな大学生だったかもしれません。

というか憧れた大学生像はきっとそれでした。

それを目指していたんだと思います。

 

だけど早稲田に合格したって事実がじわじわ押し寄せてきて思ったんです。

なりたい自分となりたい自分は違う、と。

 

確かにどこにでもいる楽しい充実した大学生はなりたい自分でした。

 

でもそれって、私がなりたい!って思う必要はないのだと。

 

私じゃなくてもなりたい人はたくさんいます。

 

 

だけど私にしかなれない私がなりたい私が見つかる場所があるのだとしたら、それはきっと「普通でいなくていい」場所で、それは多分早稲田なんじゃないかな、そう感じました。

 

 

だからこそのモテないオタクなんでしょう。(誇ることじゃねえんだよな)

 

ファンレター書いてソシャゲのリセマラしまくった講義、Waseda_wpa2に繋いで授業中刀剣乱舞しまくったら授業中ジジイがドロップしてレビューシートに「ジジイ落ちた」と書いたら次の週で取り上げられた講義、コラボカフェに行くためにサボった一限、イベントの後でいけない月曜日、などなど。

 

全部が全部バカみたいで、でもだからこそ自分が歩んだ道なんだなあと。

 

 

とは言ったものの入学当初は結構葛藤したように思います。

 

 

思ったよりみんな普通の人で、自分は浮いていたし、でも普通になるべきなのかな?とか、とにかくボヤボヤした。

 

周りの人が「普通」に溶け込んでいくのを見て自分もそうでないといけないのかなとか。

 

 

それに自由の代償として野望ってものを失った自分が嫌いになりました。

 

高校生の頃は「こんなに頭が良い自分が、こんな狭く頭の悪い世界に閉じこもっていたらいけないんだ、早く私は私の聡明さが認められる世界で自由を掴むんだ」と躍起になっていましたが、それを得てしまった世界は「ゲームクリア後の世界」のようなもので、楽しいはずのものでしたが、逆に退屈でした。

 

高校生の頃までは「選択肢と自由度がないから退屈なクソゲー」でしたが大学生活は「自分で楽しみ方を見つけたら楽しめるはずのエンディング後の世界だけどコマンド操作が見つからない上に攻略本のない、知る人ぞ知る良作ゲー」って感じでした。

 

そして大学四年間はエクストラモードで、終わると強制的に次のソフト「社会人編」がスタートします。

 

まあ、大学生活を陸の孤島のように「労働人生、集団生活から切り離されたもの」と考えるからこそこう言えるわけで、社会に出るためのステップと考えている人は社会人編は最高のファンディスクで、大学生活動はエクストラモードでもなんでもないんでしょうが。。。

 

 

 

 

大学の卒業が寂しいのも「もっとやり込み要素を見つけていたら神ゲーだったのでは?」みたいな未練が残っているからだと思います。

 

馬場歩きだってもっとできたかもしれない。私の視点を180度変える講義があったかもしれない。死ぬほどかっこいい人がいたかもしれない。

 

でも大学生活はハナっから「四年じゃクリアできないゲーム」だったんだと思うしかない、そう思います。

 

そしてそう割り切れるのは多分高校の友人に高校卒業前に、「卒業とかいうて無理くね?早くしたいけどもっと高校で青春したかった感じはある」と愚痴をこぼしたら「そういう未練があるからこそ青春なんじゃない?」と素敵な返しをいただいた経験があるからです。

 

 

たぶん未練が残るものを青春と呼ぶんでしょうね。

 

そういう意味では私の大学生活は思ってるよりもきっと青春なんでしょうね。

 

 

そしてこんな風に自分らしさを増長させられることができたのは自分が文ジャ生だからだと思います。

 

何かを書くとかは得意ではありませんでしたが、ひとつひとつ自分と自分の言葉には真摯に向き合ってきたつもりです。

 

だからこそ動機の言語化なんかが苦手だし、社会の求める人材には程遠い人間になって就活は苦労しましたが。

 

でも自分がなりたい自分に向き合うにはぴったりでした。

 

 

ほんと、文ジャの卒業式と学部全体の卒業式の差がひどくて、学部全体では「寿命が125歳とかに伸びるから60で退職すると人生の半分を消費するだけの人生にすることになる」とか言われたんですよ、いや、その前に死ぬわ〜死んでやる!って私は思いましたね。これが目指すべき反骨精神じゃないでしょうか???私が入学してすぐ「いうて早稲田は思ったより普通だな」と思ったのはそういう反骨精神を育てる風潮を感じられなかったからだと納得してしまいました。

 

きっと私、早稲田、それも文ジャに入らず「普通の大学生にならなきゃ」って思っていたらそんな風に思わなかった。

 

でも早稲田に入ったから「普通でたまるか!」と、普通じゃない自分を四年間も放ってやれることができた。

 

それが弊害となって社会に出ることを億劫にしているのはわかるけど、でも、125年も生きていかないといけない人生で自分が自分でいれる期間を4年も伸ばせたってきっと素敵なことだし、社会に出てあまりに社会性のない自分に対して「大学生活普通に送ってればな」と後悔だけはしたくないです。

 

 

 

あとこれだけは言わせてください。

 

 

大学生活最後、いや、人生のモラトリアム最後に轟くんを好きでいられたこと、オタク人生冥利に尽きます。

 

どこをどうとっても私が好きそうでしかないキャラクターで、てかまずもう見た目がありえん好きなのに中身まで期待を裏切らないドンピシャで「????」って感じでした。

 

そんでしかも私の方も自分らしさ全開、若さ全開でいられた時期に好きになって、かっこいい轟くんと若くて可愛い私のたくさんの思い出が残った。

 

完璧に大好きな轟くんと、完璧に可愛い私、そんな素敵な記憶を後生ずっとずっと抱いて生きていける私は本当に幸せ者です。

 

社会に出ても好きでいたいです。

 

大学にいた頃はこれが個性と認めてくれる人がいっぱいいた。

 

社会に出たらでも認めてもらえないかもしれない。

 

だとしても好きでいたいし、そんな風に私を否定する、私の人生を窮屈にする存在よりも私は轟くんを選びたい。

 

どうかこれから先も、

 

若さも可愛らしさも自由も失う私を唯一繫ぎ止める希望でいてください。