前戯の長すぎる童貞並の駄文

 

幼稚園、小学校、中学校、高校

 

それぞれで抱いていた夢は存外覚えている。

 

 

幼稚園はお花やさんだとかケーキ屋さんだとかを卒業文集?みたいのに書いた。

ただそれは姉や周りの子が書いていたからとりあえず書いた。

本当はアイドルになりたかった(モー娘。ミニモニ。が好きだったから)。

でも恥ずかしいから書かなかった。

 

小学校低学年の頃は幼稚園の先生になりたかったらしい。

でもそれを言ったら笑われた。

それから夢は言わなくなった。

(夢を持てないのはそのせいではない)

 

小学校中学年高学年になると夢は特になかったように思う。

強いて言えば中学受験を始めたので、第一志望の学校に受かることだっただろう。

なぜ行きたかったかというと母親も叔父もそこに通って欲しそうだったのと、受かればとりあえず怒られることはないと思ったから。

特に自分の意思で通いたいと思ったことはない。なので、姉が通っていたにもかかわらず関心がなく、どんな制服なのかすら知らなかった。

 

中学生の時の夢はよく覚えている。

 

純情ロマンチカ』が好きだったので、上條ひろき(漢字忘れた)みたいに名門大の文学部に入りたかった。

 

それで就職はせずキャバ嬢になりたかった。

 

なんとなく中学生くらいになると自分が社会に適合できないことにも気づいてくる。

 

見た目が華やかであることに対しても、お金がもらえることにも魅力を感じていたし、将来がない仕事だとは承知していたが、別に正社員になったからといって将来は安泰するわけでもないし、死んだらみんな一緒じゃん、と思っていた。

 

ちなみに当時仲よかった友人から「ミミがキャバ嬢になんかなったら友達をやめる」と言われたが、それとは関係なくその数ヶ月後に友達をやめられた。

 

それから塾に通わされることになった。母親なぜか私に期待していたので、中高一貫の中学生対象の先取り塾に通わされた。

 

そこには、私のような定員割れ私立中学の在籍者などはおらず、偏差値60越えの名門ばかりが集まっていて、1人だけバカでとにかく肩身が狭かった。自分はこんなやつらに揉まれて勝てない…勉強なんてしたくない…そんなことばかり考えていた。

 

けれども中学三年生の時に、高校進学に向けた進路選択があったから、少なくとも文系か理系かとかは考えないといけなかった。

 

理科の偏差値は29だったが、実は理系に行きたかった。

 

というのも、文系ゴリラだったので、文系科目はやらなくても常に上位にいて退屈だったのだ。(その塾でも数学はてんでダメだったが、英語はそこそこだった)

大学受験を視野にいれていたので、勉強をしないといけないわけだから、勉強しなくてもできるものを勉強するのが嫌だった。それならゼロから頑張りたいと思っていたような気もする。

 

あとは家が不動産で小さい頃から物件のチラシに囲まれていたので、住宅に関する興味もあった。お絵かきのためにつかっていた裏紙に描いてある間取り図を見て、口うるさい母親から逃げて1人で生活する妄想なんかをよくしたものだから。

 

「そうだ、家作る人になりたくね?」なんて思っていた。

 

だが現実はそうも甘くなく、私の理科の偏差値では底辺大学に進学することになるので、学費もバカらしい。文系を余儀なくされるのだった。

 

それからモチベーションをなくした私は高校一年生になった。

当然、勉強などする気にもならず、もう大学に行かなくてよくね?と思うようになる。

 

そもそも親の金で遊んでる大学生がバカに見えていた。

 

 

まあそこから大学進学を目指す過程は端折るけど、高校二年生になった私は私立文系を目指すことになる。

 

はずだったのだが、『黒子のバスケ』に出会ってしまった。

 

高校二年生の時、Amebaに生息しており、緑間あみなどというハンドルネームを名乗っていた。そして毎晩毎晩「緑間くんのシュートは落ちん!ちん」などというつぶやきを残し、朝になると「発言が不適切であるため削除されました」などという警告でタイムラインを埋めていたのである。

 

まあとにかく緑間真太郎に没頭していたことが伝わればいいのだが、それが進路選択にどう関係があるかというとやっぱりある。

 

いわゆる、キャラクターに本気で恋をしてしまう「夢女子」だったので、緑間くんと自分がどう結婚し、どう生活していくのかを真剣に考えていたのだった。

 

緑間くんは料理が苦手だった。

 

だから料理は私が作ってあげたかった。

 

「料理の学校に行きたい!」などと言い出した。

 

当然理科の偏差値も低ければ家庭科の成績も悪いので、却下される。

 

 

進路の定まらない、勉強もしない娘に呆れた母親に私立文系専門の予備校の体験に通わされたりもしたのだが、やはりそれは簡単すぎて向いていなかった。

 

「やっぱ勉強したくねーし、たぶん高3の秋に黒バスの二期始まるよね?受験勉強どころじゃないなー…推薦で文系私大入ればよくね?将来の夢とかより黒バスの二期だろ」

 

などという考えに至り、本当に私は勉強をやめた。が、まあ予備校には行っておこう、その方が母親も静かだな…などと思い、予備校に通った。

 

が、存外予備校の勉強が楽しく、外国語に興味を持った。

日本語は話す、読む、書く、に私は使っていたのだが、英語は「考える」に使っていたので、楽しかった。

ので、外国語を学べそうな学校をたくさん受けた。

思えば日本語以外の言語に触れて何かを深く考えることで現実世界から逃げていたのだと思う。

 

文構を受けたのも、外国語が週に4日あるからだった。

 

 

実際通ってからは落単ギリギリの劣等生だったので、よほど現実と理想の乖離が著しい人間なのだろう、私は。

 

 

 

 

前戯の長すぎる童貞並にくだらないことを書き綴ってしまったが、何が言いたいかというと、

 

幼稚園〜高校までの私がこんなである以上、就活がうまくいくわけはないのだということ。

 

友達が書いてた夢だから、お花屋さん。

早稲田大学の学生に人気の企業って書いてあったから、○○。

 

とりあえず親が怒らないだろうから、中学受験。

親があーだーこーだいうから、とりあえず総合職。

 

見た目のゆるい仕事がいいなあ。

 

大学受験より黒子のバスケじゃね?

就職活動よりティンダーじゃね?

 

大学生になったらモテるのかな。

社会人になったらモテるのかな、結婚してえ〜!

 

楽な学部に入りたい。

9時5時で帰りたい。

 

 

目先のことしか見えておらず、現実逃避的な欲望や「夢」として抱きがち。

 

 

そりゃあ働くビジョンも理想の企業も見つからないわけです。

 

 

いい加減現実見ようにも、見方がわからないよね。

友達の夢じゃない、親の文句言うことじゃない、そんな判断基準持ち合わせてなんてないから。