世の中わかんねえことが多すぎる

 

皆さんって知識欲強いですか?

 

 

自分は強い方かなって勝手に思ってます。

 

だから知らないジャンルのレートとか知りたくなっちゃいます。

 

本題に入ります。

 

 

 

世の中わかんねえこと多すぎませんか。

 

 

さっき地震きましたね。

 

トイレにいて揺れは感じなかったのですが速報きました。

 

わたしは死ぬ時は脳梗塞とかがいいと思ってるので天災がめちゃくちゃ怖いんですが(実際に被災経験がある方、いらしたら程度も知らずに恐れてしまい申し訳ありません)

 

どの程度の地震なんだろうか、震源地近いフォロワーいたような?平気かしらとか、いろい、と気になってしまい、調べてたところ意味わかんねえもんがたくさんひっかかりました。

 

初めて聞くようなカタカナ(南海トラフではありません)の予測が5/6 5/11だ!とか

人工地震ッとか

財政界とか大企業とかの偉い人は地震を事前に知ってるッこれは自分のツテよりの情報ッ

 

とか。

 

 

知ってるアピールなんなんですかね。

 

馬鹿だから信じかけましたよ。

 

大卒がこういうの鵜呑みにしたらいけない!とか意味不明な持ち直し方をしましたが。

 

けどまあ信じてる人もいるにはいますもんね。

 

わかんないもんね何も。

 

自分が知らないことは知りたいもんねみんな。

 

 

怖いな。

 

まあ備えあれば憂いなしって言うし備蓄しよう。

 

あとこういう時怖い怖い大丈夫大丈夫できる人がいると安心しますよね。

 

末っ子なので(関係ない)姉に暴れ散らしますが、爆睡されたのでただただ一人で不安な気持ちです。

 

 

誰かのせい

 

ずっと恐怖してるものがわたしにはあります。

 

 

戦争です。

 

 

日本に生まれて、そしてこの時代に生まれてよかった、と小さい頃本を読んで安堵した記憶があります。

 

とても人がすることとは思えない残酷な描写と、何の目的かわからないけどそのために何万と犠牲を出す必要性には、「これは本当に正しいことなんだろうか?」と幼い頃から思わざるを得ませんでした。

 

歳を重ねるにつれて、残虐なのは命の奪い方だけにあるのではないと気づきました。

 

あることないこと吹聴する人間、恐怖に煽られたからと他者を傷つけることを厭わない人間、我先にと横暴な人間、そういう、もし教科書に載るとしたら戦犯でも指導者でもなくきっと被害者数の一人にしかならないだろう人々にも、残虐さは確実にあるんだ、と。

 

恐怖に煽られたときの決断に、正義は宿るんでしょうか。

 

あとから掘り起こしてみれば正義だった、とか、致し方なかったのだから正義だった、とか、そういうことではなく。

 

誰かを責めて、ねじ伏せたことからくる安堵に平和はあるんでしょうか。

 

自分の生活に危害を及ぼすかもしれないし、まあ現時点では及ぶ範囲にはギリいないかもな、くらいの人を殺人犯扱いするのに、人の心は持ち合わせているんでしょうか。非常識だと煽るとき、常識は持ち合わせているんでしょうか。

 

ある程度の終息と日常が戻ってきた時、自分の行いや発言を恥じることなく生きていけるんでしょうか。

 

肝っ玉が据わってていいですね。

自分のしてることは正義だ、と怒りを正当化できるところも羨ましいです。

 

そういう人は自分も不安を煽る要因になってることに気づかないんでしょうか。

 

 

正直どこにでも不安はあります。キリはないです。

 

自宅待機とは言え例えば自炊ができないからと食料品を購入するために出かけたとき、感染したとしても自宅療養中の食料調達や検査に向かう病院までの通路は人と接触せざるを得ないし、そういう人には出掛けるなとは言えないでしょう。

だから出かけること自体は致し方ないけど、その大小許す許さないを程度によってモブ風情が判断して犯罪にしろとかいうのはいかがなもんかな〜と。

 

わたしからしたらそういうモブが生きているのもイヤですけどね。

 

暇だからってニュース見て勝手に正義感に燃えてる。

 

小さい頃から怖いって思ってたものを思い出しちゃう。

 

こんな時代を生きてます。

 

静かなるドンと朝霧司

 

暇すぎていろんな漫画を読んでます。

 

最近(と言っても結構前からあるし、なんなら昔からなくもないと思うけど)、人の不幸だとか闇だとかをクローズアップしたヒューマンドラマ(?)みたいなweb漫画が流行っていますよね。

 

「このブラジャー、夜つけて意味あんのか?」とか「無駄毛、夏までに無くさないといけないのか?」みたいな広告の合間に「整形女!」とか「殺し合い!」とか「女の本性暴露」とか「転生したら〜」とか。無意味と無意味のストーリーがわたしには並んでいます。

 

というか、脱毛とか流すくせに、わたしに適した広告を流しているはずのくせに、広告に出てきた漫画、なんだと思いますか?

 

 

 

『静かなるドン』

 

ですよ。いやどうなってんの。まじで。

 

リズリサモカトーキョー静かなるドン。

 

静かなるドン無料!て言われて靡く層が無駄毛剃るわけねーだろ(偏見)

 

みたいな感じでした。インスタ

 

逆にわたしみたいなやつが静かなるドンが好きっていう分析なの?みたいなめちゃくちゃ気になってしまい、読みました。静かなるドン

 

おじさんの家にあった気がして、昔からタイトルしってて、「静かなる↓ドン」なのか、「静かなる↑ドン」(※こぎみゅんの仲間、うどんさんの「遅れちゃうどん!」のイントネーションとリズムで)なのか気になってたから、めちゃくちゃ印象的でした

 

読んでみたんですけど

 

静かなるドンのドンは首領パッチのドンの意味合いだったんですね

 

静かなる首領

 

にしてくれた方がイントネーションわかったかも知んないな〜

 

まあいいや

 

で、まあ、極道の跡取りなのにパンティの会社で働いてるドンの話ですが

 

これはもう完璧にバレてるって思いましたよ。ええ

 

 

 

朝霧司の育ての親が極道だってことがね。

 

 

広告のターゲット層絞りってすごいんですね。

 

他の朝霧のゆるふわインスタグラマーのTLにも静かなるドンの広告が出ているかはわからないので、なんのアレもないんですがまあ

 

 

「わたしに打ち出してきた広告の漫画、読んでやろうじゃねーか」

 

の気持ちにはなりましたよ少し

 

 

そんな決意より前から、すげー流れてくるのがあんのよ

 

一時期のゴミプーみたいなやつ

 

明日私は誰かのカノジョ

 

みたいなタイトルのやつね

 

あのなんかデートサービスで働いてる女の子が〜とかみんなもよく見るよね?

 

あやな、、、

 

みたいなやつですそうそう。

 

あまりにもインスタで話が読めるので、心配になったのでアプリをインストールして読むことにしました。

 

 

サ○コミってやつ。サイのコミック(🦏)だと思ったら、某エージェントのサイでしたか〜!

いや君らはさぁ…どう感がえてもこういう漫画の「人物になる側」じゃん。かたやわたしみたいな、「なれない側」がそれを消費し、あーだこうだ上から目線でディスって、動画とか見て漫画の続き読むときに生じるアレをウェイサーがそのまま会社になった大企業さんに支払っている…と。

は〜すげえ

 

ちなみにわたしは就活に血迷ったときに受けるか悩んだんだけど、テニスサークルとか作ってないといけないのかと思い、架空のテニスサークルの幹事やってたことにしないと?!サークル名ワンナイトラブでいいかな?!とか思ったあたりで自分でご縁がないことに気づきました

 

 

とまあそれはさておき、

インスタに挟まれる無意味な広告の中にある一つの作品を読むのに、これまた似通った広告を見る

広告のレールが円環する無を、ひたすらわたしは駆け巡ってる感覚だ

あ、まあこれは別にわたしがグルディス前にうんこしてたらグルディスが始まった企業が広告系の会社だったからって恨みを感じてああだこうだいってるわけではありませんよ。絶対あだ名うんこになったよな。うんこしたかはマジで忘れたけど、面白いからうんこしたことにしてる

 

 

そんな陰の自分はまだ「あやな、、、」のおじさんのところまでは読めてないんですけど

 

よくもわるくもこういった作品を読むことはある種精神の自傷行為に近いことだな、と思いましたね

 

なんかみんなの周りにいませんか?

 

むかつくけどこいつのTwitterつい見ちゃう!みたいな人

 

あ、わたしですか…すみません

 

そう、ウザいはずなのに、目が離せない

 

 

たぶん、関わるだけでこちらの精神すり減るのに、すり減る感覚がイッてしまうというか、マイナスの感情なのに中毒みたいに摂取したくなってたまらなくなる

 

 

「は?なんかうぜーな」のオンパレードですからね

 

 

長くなってきたから一回区切ろう

 

話の本筋を静かなるドンに置いたままにしたいので

 

眩しすぎた

 

スタマイにハマっていろんなことがありました。

 

練工に金パクられかけたり。

ふわとも縁切った。

親いなくなった。

 

最終的には精神をやって仕事休むことになった。

 

3ヶ月休んでも治らなかったら自動的に退職になります。

 

それで、辞めるときにわたしになんらかの精神疾患の診断名がついたらおそらくは最長で一年半は給付金生活で、医師からの判断が出るまで働くことができません。

 

 

 

『俺は親父や弟に、もし今会えたとしても恥ずかしくない自分でいたいと思っています』

 

『そのための仕事が、刑事なんです』

 

 

この台詞が本当に好きでした。

 

だから憧れて、好きになって、でも、憧れたら憧れるだけ苦しくなった。

 

仕事も大したことしてない。

 

家族のことも嫌い。

 

でも、自分が誇れることを自分でやってない。

 

 

じゃあ、自分が誇れることを探そうって考えてるうちに、朝霧みたいにわたしも仕事で誇りたいな、自立した大人になりたいなって夢を持っているうちに親がいなくなった。

 

出ていくことができなくなった。

 

毎日毎日、やりたくもない犬の世話、好きでもない家族との共同生活を続けて、掃除だのなんだので1日が終わる。

 

家族のことをもっと嫌いになったし、自分がな何もしていないことへの焦燥感も増していく日々に耐えることができませんでした。

 

 

しかもその憤りの矛先を、わたしは「自分が悪い」と思うだけでは受け止めきれずに家族に向けました。

 

家族を大切にできないような人間が、家族を大切にしている人のことを好きなのかと思うと、今まで生きてて感じたことがないくらいに自分のことを嫌いになった。

 

毎日、喉が枯れるくらいに叫んで発狂したり、仕事中も手がつかなかなってトイレに泣きに行ったり、髪を毟ったりする癖もとまらなくなって、こんな自分はどうせクズだから、とか思うと会社にも行けない。

 

 

会社に行くことを8割方諦めているので、ジャンプの更新までの間にブログを書きます。

放置してたのをさっき思い出したので。

 

わたしの近況とかクソみんなはどうでもいいと思いますけど、わたしは読み返したいですし、それも読み返すのであれば客観的に見る人に向けられたものとして目に入れたいので。

 

多分わたしは会社を辞めるでしょう。

 

コミュニケーションに難のある人のお守りから始まり、加えてイレギュラー案件の問い合わせだの業務フローの確立だのをやることに疲れました。平たくいうとたかだか一般事務がなんでここまでやらなきゃいけねえんだ?という「お金や待遇に見合ってない」感とか、残業できない以上仕事できる人にだけ業務過多が起きて、仕事できればできるほど一案件あたりの解決のコストが下がっていくことにやりがいを見出すことができなくなったことにより、限界が来てしまいました。

 

順当に辞めるには通院をして診断書でも出して貰えばいいや!心療内科に行こう!と思ったら、心療内科の通院歴があると5年間は保険/ローンの審査が通りづらくなるという記事を見受けました。

 

もともと喫煙者なので保険料高くなるのは承知だったのでそれはなんでもいいですし、結婚することもないだろうから5年とかでローン組むライフサイクルも想定していないので、どうでもいいなとは思ったんですが、腹は立ちました。

 

だってみんな好きで鬱病とかになるわけじゃないじゃん。

たまたま入った会社でたまたま使えない人がいたとかたまたまうざい先輩がいたとか、それで病んじゃったらもう意味わかんないじゃん。

それなのにそいつらのせいで仕事もできなくなったかと思えばローンも組めないとか、保険にも入らないとか、頭沸いてるんじゃねーの?

 

しかも、厳密にいうと入れないわけじゃないんですね。そういう人でも入れる保険なんかを用意してたり、ローンのプランも金利がちょっと高かったり。アホか?

絶対現代に鬱病が多いからそういう人から金を絞ろうみたいなクソみたいな発想から生まれてますよ。消えろ

 

例えばだけど、鬱で苦しんでいる人が恋人を作ったとかですこし心が晴れて、心機一転しようと家でも買うかってなると今度は「鬱病の既往があるからローン組めないよ★」とか言って絶望もう一回叩きつけられるとかザラってことですよ。

 

 

やばくない?たまたま入った会社でたまたま無理になった結果気をおかしくしたら芋づる式に人生どんどんおかしくなるって意味ですよこれ。

 

明日は我が身ですよねしかも働く社会人にとっては。

 

 

まじでこの世の中やばい。頭おかしいとしか思えないね

 

 

いいたいこと書き終わってしまってジャンプの更新までクソ暇

卒業

 

人生で一番楽しい卒業式でした。

 

それもそのはずだと思います。袴の色も、メイクも、髪型も、好きなようにしていい機会だったので。

 

小学校の卒業式は姉のお下がり(なんとなんちゃって制服だったのにセーラー服だったのでそれはそれで気に入っていた)と決まっていたし、中学は震災の影響で卒業式はなかったがあったところで中高一貫なので制服は6年間同じ。だから高校の卒業式で着たものおなじ、クソダサい制服を着ました。

 

 

小中高を卒業することは「このコミュニティからの脱出」という意味合いで、「さらなるステップへの通過点」でしかありませんでした。

 

一方で大学を卒業することは「自由と自我の剥奪」「モラトリアムの収束」と意味合いが相当違ったため、式が終わった今もなんとも言えない感慨が私を襲っています。

 

 

 

遡ること四年前、私は早稲田の合格発表を聞いて、自分が合格したことに特別驚きもしませんでした。

 

そもそも落ちるとは思っていなかったので。でも受かるとも思っていませんでした。

 

どういうことかというと、過去問はずっと合格ラインをゆうに超えていたので落ちないと思ったから受験したが、あくまで上智に落ちた場合に通う学校だと思っていたので、上智にも早稲田にも受かるパターンは想定していなかった、ということです。

 

率直に「やれやれ、面倒なことになったな」とハーレムアニメの主人公のような感想を抱きました。

 

 

ただ割とすぐ進学する大学は決めました。

 

でも、単純なネームバリューや偏差値だけで判断したというより「どういう自分がしっくりくるか」が一番大きな判断基準だったように思います。

 

 

早稲田以外の大学に通っていたら私は「普通」を強要されたかもしれない。

38mmのコテで巻いたくらいのゆるパーマを当て、8トーンくらいの茶髪にし、赤文字系の洋服を着て、サマンサタバサのバッグを持つ。

スタバの新作が出るたびにたいして可愛くもない友人と駆け込んで3時間くらい生産性のない恋バナをする。

文化系とも運動部ともとれないサークルに所属してよくわからない先輩に処女を奪われエッチした次の日の1限は寝坊する。

カシスオレンジ数杯飲んだ程度で酔っ払う。

ことあるごとに感謝!感謝感謝感謝!

 

そんな大学生だったかもしれません。

というか憧れた大学生像はきっとそれでした。

それを目指していたんだと思います。

 

だけど早稲田に合格したって事実がじわじわ押し寄せてきて思ったんです。

なりたい自分となりたい自分は違う、と。

 

確かにどこにでもいる楽しい充実した大学生はなりたい自分でした。

 

でもそれって、私がなりたい!って思う必要はないのだと。

 

私じゃなくてもなりたい人はたくさんいます。

 

 

だけど私にしかなれない私がなりたい私が見つかる場所があるのだとしたら、それはきっと「普通でいなくていい」場所で、それは多分早稲田なんじゃないかな、そう感じました。

 

 

だからこそのモテないオタクなんでしょう。(誇ることじゃねえんだよな)

 

ファンレター書いてソシャゲのリセマラしまくった講義、Waseda_wpa2に繋いで授業中刀剣乱舞しまくったら授業中ジジイがドロップしてレビューシートに「ジジイ落ちた」と書いたら次の週で取り上げられた講義、コラボカフェに行くためにサボった一限、イベントの後でいけない月曜日、などなど。

 

全部が全部バカみたいで、でもだからこそ自分が歩んだ道なんだなあと。

 

 

とは言ったものの入学当初は結構葛藤したように思います。

 

 

思ったよりみんな普通の人で、自分は浮いていたし、でも普通になるべきなのかな?とか、とにかくボヤボヤした。

 

周りの人が「普通」に溶け込んでいくのを見て自分もそうでないといけないのかなとか。

 

 

それに自由の代償として野望ってものを失った自分が嫌いになりました。

 

高校生の頃は「こんなに頭が良い自分が、こんな狭く頭の悪い世界に閉じこもっていたらいけないんだ、早く私は私の聡明さが認められる世界で自由を掴むんだ」と躍起になっていましたが、それを得てしまった世界は「ゲームクリア後の世界」のようなもので、楽しいはずのものでしたが、逆に退屈でした。

 

高校生の頃までは「選択肢と自由度がないから退屈なクソゲー」でしたが大学生活は「自分で楽しみ方を見つけたら楽しめるはずのエンディング後の世界だけどコマンド操作が見つからない上に攻略本のない、知る人ぞ知る良作ゲー」って感じでした。

 

そして大学四年間はエクストラモードで、終わると強制的に次のソフト「社会人編」がスタートします。

 

まあ、大学生活を陸の孤島のように「労働人生、集団生活から切り離されたもの」と考えるからこそこう言えるわけで、社会に出るためのステップと考えている人は社会人編は最高のファンディスクで、大学生活動はエクストラモードでもなんでもないんでしょうが。。。

 

 

 

 

大学の卒業が寂しいのも「もっとやり込み要素を見つけていたら神ゲーだったのでは?」みたいな未練が残っているからだと思います。

 

馬場歩きだってもっとできたかもしれない。私の視点を180度変える講義があったかもしれない。死ぬほどかっこいい人がいたかもしれない。

 

でも大学生活はハナっから「四年じゃクリアできないゲーム」だったんだと思うしかない、そう思います。

 

そしてそう割り切れるのは多分高校の友人に高校卒業前に、「卒業とかいうて無理くね?早くしたいけどもっと高校で青春したかった感じはある」と愚痴をこぼしたら「そういう未練があるからこそ青春なんじゃない?」と素敵な返しをいただいた経験があるからです。

 

 

たぶん未練が残るものを青春と呼ぶんでしょうね。

 

そういう意味では私の大学生活は思ってるよりもきっと青春なんでしょうね。

 

 

そしてこんな風に自分らしさを増長させられることができたのは自分が文ジャ生だからだと思います。

 

何かを書くとかは得意ではありませんでしたが、ひとつひとつ自分と自分の言葉には真摯に向き合ってきたつもりです。

 

だからこそ動機の言語化なんかが苦手だし、社会の求める人材には程遠い人間になって就活は苦労しましたが。

 

でも自分がなりたい自分に向き合うにはぴったりでした。

 

 

ほんと、文ジャの卒業式と学部全体の卒業式の差がひどくて、学部全体では「寿命が125歳とかに伸びるから60で退職すると人生の半分を消費するだけの人生にすることになる」とか言われたんですよ、いや、その前に死ぬわ〜死んでやる!って私は思いましたね。これが目指すべき反骨精神じゃないでしょうか???私が入学してすぐ「いうて早稲田は思ったより普通だな」と思ったのはそういう反骨精神を育てる風潮を感じられなかったからだと納得してしまいました。

 

きっと私、早稲田、それも文ジャに入らず「普通の大学生にならなきゃ」って思っていたらそんな風に思わなかった。

 

でも早稲田に入ったから「普通でたまるか!」と、普通じゃない自分を四年間も放ってやれることができた。

 

それが弊害となって社会に出ることを億劫にしているのはわかるけど、でも、125年も生きていかないといけない人生で自分が自分でいれる期間を4年も伸ばせたってきっと素敵なことだし、社会に出てあまりに社会性のない自分に対して「大学生活普通に送ってればな」と後悔だけはしたくないです。

 

 

 

あとこれだけは言わせてください。

 

 

大学生活最後、いや、人生のモラトリアム最後に轟くんを好きでいられたこと、オタク人生冥利に尽きます。

 

どこをどうとっても私が好きそうでしかないキャラクターで、てかまずもう見た目がありえん好きなのに中身まで期待を裏切らないドンピシャで「????」って感じでした。

 

そんでしかも私の方も自分らしさ全開、若さ全開でいられた時期に好きになって、かっこいい轟くんと若くて可愛い私のたくさんの思い出が残った。

 

完璧に大好きな轟くんと、完璧に可愛い私、そんな素敵な記憶を後生ずっとずっと抱いて生きていける私は本当に幸せ者です。

 

社会に出ても好きでいたいです。

 

大学にいた頃はこれが個性と認めてくれる人がいっぱいいた。

 

社会に出たらでも認めてもらえないかもしれない。

 

だとしても好きでいたいし、そんな風に私を否定する、私の人生を窮屈にする存在よりも私は轟くんを選びたい。

 

どうかこれから先も、

 

若さも可愛らしさも自由も失う私を唯一繫ぎ止める希望でいてください。

17日間のモラトリアム

 

アルバイト納めをしてきました。

 

 

私はどこをどう見ても社会不適合で、言われたことはやれない、注意力は散漫で、とにかく大学生になる前は「アルバイトはしたいけど、すぐやめてそう」「ていうか働けなさそう」と思っていました。

 

 

けど、アルバイトは同じところで3年間やりました。

 

ひとえに、一緒に働いていた人たちが心優しかったからだとおもいます。

 

 

 

大学生活は、恋愛、勉強、サークル、ボランティア、アルバイト、旅行、読書など趣味、自由な格好をする、飲み会、インターン、留学、ゼミ、就職活動など、たくさんやりたいことややらないといけないことが目白押しで、やれることなら誰でも全部うまくやりたいでしょう。

でも実際に3つでもうまくできればいい方だと思います。たぶん、というかできない理由のたいていがお金だと思います。

 

で、みんなお金が欲しいからアルバイトに比重をおく。

 

 

私もそうで、とにかくお金が欲しかった。

 

 

だけどお金のために働いている、貴重な時間を切り売りしている、という意識はなかった。

 

 

あたたかい人たちがいて、あたたかい職場で、毎日目新しいものに触れてきました。

 

 

昆布の量り売りをしたと思ったらチョコレートを売ったり、最終日は洋服を売ったし、ワインも売った。抽選もやったし、子供たちと縁日をしたり。お魚も売ったり、制服の採寸なんかもやりました。

 

昆布の量り売りはそうとう記憶に残っている、なんでなんだろう。

 

 

自分の大学生活、3つもなんかやり遂げたことがあるかはわからないけど、アルバイトだけは本当にやってよかった。

 

 

社会不適合の分際で苦しむことなくアルバイトを続けられたから、斉藤のイベントに行ったり、轟くんのグッズを買ったり、好きな洋服を買ったり、なりたい自分でいられた。

 

 

一生ぶんの職場運を使ってしまったのでは?と思えるくらいでした。

 

本当に楽しかった。